マークマン事件最高裁判決

1996.05.10

- 特許のクレームを陪審員が解釈することを最高裁判所が排除 -

著者: パートナー カール G. ラブ G. ポール エジェル
アソシエイト カート W. ロックウッド
訳者: 弁理士 龍華 明裕(Ryuka)

 1996年1月8日の口頭弁論(この日、ワシントンの厳しい吹雪により9人の判事の一 人は欠席であった。)以来、最高裁判所によるマークマン事件(Markman v. Westview Instruments, Inc., 1996 U.S. Lexis 2804 (最高裁 1996年4月23日))の判決が待たれていた。この裁判は一つの問題に焦点を当てていた。特許のクレームの解釈および意味付けに陪審員裁判を要求する憲 法上の権利が存在するかどうかである。

 この問題のみについて最高裁判所は1996年4月23日に、特許のクレームの意味付け は純粋に法律問題であり判事のみが定めるとするCAFCの判決を全員一致で支持した。最高裁判所の新しいメンバーの一人であるSouter裁判官がオピニ オン(* ほぼ日本の判決理由に相当する。)を書いた。これにより特許侵害事件における陪審員の役割は、被告の行為がクレームの侵害を構成するか(および損害額)と いう事実問題に制限された。このように陪審員の役割が限定されていることもまた再度支持され是認された。

 特許クレーム解釈の問題を陪審員に委ねたここ数十年間の数多くの事件を実質的に無視し て、Souter裁判官は米国の憲法第7修正の古典的な法的分析を行った。米国の憲法第7修正は、その採択日(1790年)に存在した問題であって英国コ モンロー下で陪審員が判断することができた全ての問題に対して陪審員裁判を保証している。そこでまず英国コモンロー下での特許事件が分析された。しかし 1752年まで特許事件は枢密院(*国王に助言を与える機関)が判断していた。(従って陪審裁判の選択肢は無かった。)専売法はそれより1世紀前に制定さ れていた。しかしSouter裁判官は、本件に直接影響するこの時代の英国特許コモンロー下の文書は不十分であることを発見した。例えば、Bouton and Watt v. Bull., 126 Eng. Rep. 651,656 (C.P. 1795) (Eyre, C.J.)には「特許権は私が発見することの出来る本のどこでも詳しく議論されていない。」とある。そこでSouter裁判官は更に19世紀初頭の米国実 務を検討した。

 米国特許の「クレーム」の使用は1836年まで法律によっては認められていなく、また 1870年まで法的要求とはなっていなかった。そこでSouter裁判官は特許の範囲および有効性についての当時の特許明細書の解釈方法と類比した。そし て、クレームの解釈が伝統的に陪審員の判断に委ねられきたという議論を、この時代の米国特許事件は支持することが出来ないとSouter裁判官は結論し た。法律文書の一般的な解釈を含むこの時代の他の事件、および少し後の19世紀中頃の特許事件で示されたアプローチを検討して、歴史的に陪審員ではなく判 事が特許を含む文書中の文言の意味を解釈してきたとSouter裁判官は結論した。特にCurtis裁判官による142年前のWinans v. Denmead, 15 How. 330,338 (1854年) の判決が引用された。これはCurtis裁判官が、裁判官となる前に特許実務をしていたからである(恐らく彼はそのような経験を有する唯一の最高裁判所裁 判官である。)。また、貴重な論文である 2 Robinson, Law of Patents (1890年) の「判事は法の仲裁人として、特許に真性の最終的な性質および力を与えつつ、自己の責任において手続きを行う。」という部分(481-483頁、セクショ ン732)を引用している。

 このような訳で、憲法第7修正によっても特許クレームの解釈に陪審員裁判は保証されな い。Souter裁判官の分析は、クレーム解釈の問題における判事と陪審員の間の適切な責任分担に進められている。判事と陪審員の解釈能力の相異を考慮 し、更に関連する法的な政策について付記している。そして最高裁判所は単に「(特許クレーム中の)専門用語の解釈は証拠により補強されるものの、通常の裁 判で判事に委ねている他の多くの責任と同様にクレームの解釈を扱う十分な理由が存在する。」と結論している。

 マークマンにおける最高裁判所の判断の実務的な影響は、特許クレームの文言および範囲 の解釈は、これに関する専門家の証言の評価を含めて、今や完全に米国陪審員の領域外にあるということである。しかしながら一旦裁判所が特許クレームを解釈 し、その文言の意味に関する証言の不一致を解決すると、被告が侵害をしたか否かという問題は事実問題として陪審に残される。

 以上のようにクレーム解釈は判事が判断すべき法律問題であるとするCAFCのマークマ ン判決 52 F.3d 967 (1995年)は問題なく支持された。それ以上には、最高裁判所はこの問題を今後裁判所がどう扱うかべきに関するガイダンスを示さなかった。またこの1年 の間に示された、地方裁判所の判事の役割についての多くの人の関心の表明やコメント(そしてCAFCで反対意見を述べた裁判官によるその後の活発な論議) には全く触れていない。しかし控訴審においてクレーム解釈をde novo(覆審)により判断するというCAFCの見解は恐らく法として存続する。またCAFCは最近、Exxon Chemical Patents, Inc. v. Lubrizol Corp., 64 F. 3d 1553,1556 (CAFC 1995年)において、「判事がいつどのようマークマン職務(クレーム解釈)を行ったとしても、控訴審においてはクレーム解釈の問題を第1審の判事と同様 に独立して検討する。」と強調している。このため特許訴訟の当事者は、CAFCが判断するまで特許クレームの法的な意味および範囲を完全にに知ることがで きない。

 1982年以来、特許の陪審員裁判はわずか4%から60%以上に増加した。そのほとん ど全てがクレーム解釈の問題を陪審員に委ねている。また多くが、種々の地方裁判所で採用されている標準的な「陪審員説示モデル」を使用している。最高裁判 所によるマークマン判決の支持により陪審裁判の傾向が続くかどうかは分からなくなった。デラウエラの地方裁判所の判事McKelvieも、昨年のElf Atochem判決, 894 F.Supp. 844,857 (D. Del. 1995年) の中で、CAFCによるマークマン判決は「間違いなく特許訴訟の様相を変えるだろう」と述べている。また「クレーム中で論じられた言葉の意味を第1審の裁 判官が判断しても、CAFCの3人の判事が反対した場合には事件全体が再審理へ差し戻され得る。」という点に言及している。クレーム解釈に基づくサマリー ジャッジメント(* 重要な事実についての真性な争点がなく法律問題だけで判決できる場合に、申立により事実審理を経ないでなされる判決。事件の一部のみについて判決すること もできる。略式裁判とも呼ばれる。)が、今やより優勢になり、また決め手になるかもしれない。なぜならば一般にクレームの解釈が侵害事件の決め手となる場 合が多いからである。

 Souter裁判官は更に、最高裁判所に係属中のヒルトンデービス事件(Hilton Davis v. Warner-Jenkinson Co., Inc., 62F.3d 1512) (CAFC 1995年), (Cert, 116S. Ct. 1014 1996年)における均等論の問題を最高裁判所がどう扱うかの前兆となるような意味深長な論考をしている。「現代の米国(特許クレーム)システム」を描写 する中で、彼は米国特許クレームが「発明の完全なコピーのみではなく、発明の本質を有しながら重要ではない変更を加えてクレームの文言侵害をさけた製品も 禁止するように機能する」と述べている。このオピニオンの中で「クレーム」という言葉は特許法特有のこの意味のみで用いられている。同7頁(H. Schwarz, Patent Law and Practice 1, 82頁(2d ed. 1995)を引用している)。今のところ、均等論はまだ存続する様である。

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(* は訳者付記)